岩村城

10月20日、曇り。

なんとなく、それほど遠くないうちに名古屋を離れることになる気がしたので、岩村城に行きました。

基本データ

城名 岩村城
100名城番号 38
所在地岐阜県恵那市
築城年代鎌倉時代
城郭構造 山城

岩村城は近世の日本三大山城のひとつで、三城の中で最も高く標高717mに建っていた城です。*1

最寄り駅は明知鉄道岩村駅で、所要時間は名古屋駅から2時間程度です。 駅から城跡までは古い町並みが残っており、今でも観光客の方で賑わっています。

岩村城は「女城主の城」としても有名な城です。 信長の叔母に当たる人物(おつやの方)が城主でしたが、武田氏と婚姻関係を持ったことで信長と敵対することになり、 最終的に信長に攻められて落城しました。

防御の面では、六段壁と呼ばれる雛壇状の石垣が有名です。

名古屋からは日帰り圏内にある名城ですが、行くきっかけがなく今まで攻められていませんでした。

登城路(資料館〜本丸)

特に計画も建てずに城攻めに行ったのですが、ちょうど資料館行きのバスに乗れました。 資料館までは徒歩20分ぐらいはあるので、上まで徒歩で登る場合は、行きだけでもバスの利用をおすすめします。 バスは1日2本しか運行していないようなので、ちゃんと計画を立てて行きましょう。

岩村歴史資料館

日本100名城スタンプは入り口近く(有料エリア外)にありました。 累計して30個目のスタンプゲットです。まだまだ先は長いな。

藩主亭の門と太鼓櫓

歴史資料館の近くには、平成になって復元された藩主亭の門と太鼓櫓があります。

資料館の脇から登山道が伸びています。ここから本丸まで徒歩30分程度です。

登山道

登り始めてしばらくすると、石垣や石畳の道が現れて城跡らしくなってきます。石畳の道はかなり急勾配で、数分もしないうちに息が上がってしまいました。

この日は前日に雨が降っていたせいで石が濡れており、足元が滑りやすくなっていました。下りは普通に怖かったです。

初門

岩村城の最初の関門が初門です。 ここまで真っ直ぐだった道が左方向に大きく曲げられています。

一の門

一の門跡です。当時はここに2階の櫓門が建っており、左の方に多聞櫓が続いていました。

畳橋と追手門

江戸時代は畳橋と呼ばれる木橋を渡るようになっていました。

畳橋の奥には追手門と呼ばれる枡形門があり、脇には三重櫓が構えられていました。

霧ヶ井

霧ヶ井と呼ばれる井戸です。この井戸の中に秘蔵のの蛇骨を投げ入れると、城の周りに霧が立ち込め城を守ったと言われています。この伝承から、岩村城は別名「霧ヶ城」とも呼ばれています。*2

本丸周辺

六段壁

六段壁(ろくだんへき)は本丸の正面にある雛壇状に積み上がった6段の石垣です。崩落を防ぐために補強の石垣を足していった結果、段築構造になったと言われています。

長局埋門

長局埋門です。かつては櫓門の構造になっていて、本丸の外枡形的な機能を有していました。

埋門

埋門です。かつてはここを覆うように櫓が建っており、右側には2重櫓が建っていました。

野面積み、切込接、打込接の石垣を同時に見ることができる全国的にかなり珍しい石垣です。

本丸

本丸跡は広場になっています。かつては2重櫓が2棟、多聞櫓が2棟石垣上に建っていましたが、内部は現在と同じく広場だったようです。

山頂からは遠くの方まで見渡すことができます。

親子連れの方やインスタ映え狙いの方などかなり賑わっていました。

昇龍の井戸

かつては本丸に「昇龍の井戸」と呼ばれる井戸がありました。標高717mに位置するにもかかわらず、井戸の水が途切れることはなかったと言われています。

城下町

城下には古い町並みが残っています。連続TV小説「半分、青い。」の撮影場所としても有名で、あちこちにポスターが貼っておりました。

まとめ

100名城巡り30城目で久々の山城攻めでした。 本丸にそびえ立つ六段壁は想像していたよりも美しく壮大で、とてもきれいなお城でした。 石垣や城下町などが多く残り、坂が急勾配だったこともあり攻めがいのあるお城でした。

いい岩村城攻めでした。

苗木城デスウォーク編に続きます。

*1:日本三大山城は岩村城高取城備中松山城の三城です。高取城は三城の中で最も比高(麓と山頂の高低差)が最も高いです。備中松山城は山城で唯一現存天守が残っています。

*2:二本松城丸岡城、山形城は別名で「霞ヶ城」と呼ばれています。霧と霞で漢字が似ているので、ブログ編集まで岩村城も霞ヶ城だと思っていました。