小牧山城

9月15日、晴れ。

三連休が消失したので、泣きながら小牧山城に行きました。 小牧山城は近年、発掘調査が盛んに行われていたり、新しい施設が開館したりと気になっていた城です。

初めての続日本100名城攻めです。

基本データ

城名 小牧山城
100名城番号 149
所在地 愛知県小牧市
築城年 永禄6年(1567年)
城郭構造 平山城
天守 不明
1967年再建(RC造・模擬)

小牧山城織田信長美濃国の斎藤氏を攻めるために築いた城です。 後に、小牧・長久手の戦いにおいて徳川家康が本陣を構えた城でもあります。

昔は、美濃国を攻めるための簡易的な陣城だったと考えられていましたが、 近年の発掘調査により石垣などの大規模な遺構が発掘され注目を集めています。

2019年4月には、山の麓に「れきしるこまき」という史跡情報館が開館し、今ホットなお城です。

れきしるこまき

2019年4月25日にオープンしたばかりの史跡情報館です。 入場料は大人100円で、山頂の資料館と入場券がセットになっています。

最近の施設らしく、靴で踏むと詳しい説明が見られる展示や、 石垣風のスクリーンに投影される展示など斬新な展示などが多くありました。

また出口付近には、城好きで知られる春風亭昇太さんによる、小牧山城の見どころを紹介する映像が流れていました。 映像は20分以上あり、小牧山城の見どころや魅力などが分かりやすく説明されており、この後の見学に非常に役に立ちました。 小牧山城に行かれた際は、まず、れきしるこまきでこの動画を見ることをおすすめします。

曲輪402

曲輪402は近年の発掘調査で見つかった曲輪です。 土塁や堀で囲まれた75m四方の曲輪で、信長の屋敷があったと推測されています。 小牧山城の曲輪の中で一番広いです。

大手口

大手口には2重の土塁が復元されています。 近くで見るととても巨大で、防御力の高さがうかがえます。

大手道は敷地内しか残っていませんが、当時は城下町の方向にまっすぐと続いていました。 小牧市役所の方向に伸びている線は当時の大手道を示していて、市役所の中まで線が続いているそうです。

本丸石垣

小牧山城には三段の石垣が本丸を囲んでいたと考えられています。 石垣の積み方がまだ未熟だったためか、転落石があちこちに落ちています。

本丸石垣の側には、発掘で出てきた石垣の裏込石が積まれています。 調査が終われば元に戻されるため、裏込石は今しか見られません。

小牧山城の石垣は、信長時代と家康時代のどちらに築かれたのか長年分かっていませんでした。 しかし、発掘調査により、石垣の石は近くの岩崎山から運ばれたことが分かりました。 小牧・長久手の戦いの時点では岩崎山は秀吉が占拠していたので、 家康が岩崎山の石で石垣を築いたとは考えにくいです。 したがって、近年では小牧山城の石垣は信長時代に築かれたものだと考えられています。

道に沿って石垣が近くで見られる場所がありました。 石と石の間の隙間が大きいため、中を覗き込むと普通では見られない石垣の裏側を見られます。

天守閣風建造物

小牧山の山頂には天守閣風建造物が建っています。 天守閣風建造物って単語おもしろいな。*1

この3重4階の建造物は小牧市歴史館という名前で、1967年に個人によって寄付されました。 私もおかねもちになって私財で城を建てたい。

日本100名城スタンプは歴史館内部の1階にありました。

天守の最上階には360度回る廻縁と高欄がついて、四方を見渡すことができます。 頑張れば犬山城岐阜城名古屋城が見られるのかもしれませんが、 私の視力ではどれも見えませんでした。

土塁

小牧山城は江戸時代は徳川家に管理されており、一般人の立ち入りが制限されていました。 そのため、築城当時の石垣や土塁がそのまま残っています。

山の北東部には、全国でも珍しい土塁の断面展示があります。 土塁の下の方から順に黒い砂の層、黄色い砂の層、小石の層が積もっています。 これは、普通の地層の順番と逆順で、堀を掘った土を積んで土塁を築いたためです。

御幸橋

御幸橋口は土塁で囲まれた枡形の虎口です。見通しが悪くて普通に怖い。

まとめ

江戸時代の石造りの城の原型が垣間見えるお城でした。 展示施設が充実しており、城巡りの新人から玄人まで幅広く楽しめると思いました。 発掘調査は現在も続いており、今後も楽しみなお城です。

いい小牧山城攻めでした。

*1:Wikipediaにも天守閣風建造物と書かれています。